「理屈」と「感情」のはざまに
現状に疑問をもち、旧態依然のままから脱却しようと
シフトレバーに手を伸ばすとき、どうしても意見がぶつかり合うことがある。
もちろん、それらの摩擦は回避する必要もなく、個々の意見を出さないのは
意味のないことである。
こと日本人は、周りに迷惑をかけないように、みんながやっていることと
同じように、自分勝手なことをやってはいけません・・・などなど
集団行動や集団教育をもとに、幼少から育てられてきている文化が
根付いているように思える。
そういう背景をもとに、他人の意見を否定したり、それは間違っていることだと
指摘することは、とても勇気のいることである。
だからこそ、相手の人格をしっかりと尊重することが大事になってくる。
「理屈」を通すことと、個人的「感情」は別物であることが、お互いの
信頼関係の上で共通理解していれば、とても健全で発展的な
意見を交わすことができると思われる。
そこで、わたしの場合は
いつも、どんな場面でも、あえて「正解」にこだわりは持っていないですね。
「正解」をドンピシャリと狙えるほどの能力もないと思っています。
なるべく、伝わりやすくする必要はあるので、自信をもって伝えることは
とても重要な点なので、準備には気を使います。
(新卒採用の説明会でも、プレゼンシートのセリフ入れや、終始ビデオ録画して
タイム割なども、再チェックしたり)
もう、10年以上も会社説明会を、担当していても、毎年リニューアルして
自分の表現も変えていくべきところを探しています。
それでも、焦点がずれていたり、強調する部分が薄かったりして、不十分な
ことが多いと、あとから反省することが多いです。
これも、「準備」>「整理>」「実践」>「フィードバック」の繰り返しのなかで
体感的に磨かれていくものだと心得ています。
伝える側と 伝えられる側ーーー
話し手と 聞き手 ーーーー
お互いの理解や 歩み寄りは そのスタート地点から始まっていると
いうことを、 それぞれに認識することがコミュニケーションの第一歩だと思える。
「違和感や異論は、どんどんウェルカム!」という、
胸襟を開いた関係性こそが
本来の発展的な関係にある 人と人のつながりだと思う。